ミセスは新譜が出るたび最初は「んー今回はうーん」みたいに思うけど毎回スルメ化して気が付くとヘビロテしてるアルバム作るから侮れないのだ。
故に今回も何となく聞いてしまうのだ。
それにしてもやっぱりずっと気になっていることは相談してみるべきだと思うんだ。
愛着障害のことなんだけどさ。
人と分かり合うことに支障があって生活がしづらいことを障害って言うなら私は多分障害にカテゴライズされるよぉ……。
一応愛着障害の本の巻末診断で疑いがあるのは「恐れー回避型」だった。
本を読んだうえでの自己診断だからアテにならんけど。
まぁでも私は人と仲良くなるのに時間がかかって、そのうえでも相手を信用していないところがあるから当たっている気もしなくも無いのだが。
1年付き合った彼氏すら最後まで疑ってたからなぁ「いつ捨てられるかわからんぞ」って。
あと怒られたり傷つけられたりすることを極端に嫌ってるから人に心を開かない。
人に調子を合わせるスペシャリストだからね、私ちゃん。
それに疲れているからブログが捗るんだろうけど。
なので、そろそろ病院で相談しようと思うのだ。
でも、厄介なことに私の主治医はうちの親を全面的に信頼している。
私が何か言うと「あけみさんが子供なんだよ」みたいなことを平気で言う医師だ。
だから今回の事は正直、ひっじょーに相談しづらい。
「また生きづらさを親のせいにしようとしてる……」
とか思われそう。まぁぶっちゃけ思われても仕方がない。
だから最初はふんわりと相談員を挟もうと思うのだ。
ずーっともやもやしていた愛着障害のことをやっと相談する気になったわ。
これがっ……5月の力!!!
実は私、自分の愛着が傷ついた段階に思い当たる節があるんだ。
私が産まれて2か月くらいで母親が遠くの病院に長いこと入院したことがあるらしい。
それからも記憶がある範囲でも幼い頃から母親の入院は頻繁だった。
まぁその辺は親のせいじゃないよ、病気じゃどうしようもない。
なんで私が愛着障害かどうかを暴きたいかというと、人間関係を大切にするっていうのがどういうことなのかわからなくて、他人に服従したような接し方をする癖に切るときはスパっと簡単に人間関係を捨ててしまえる危うさが自分で怖いからだ。
私は結構相手を大切にしようとしている。
嫌われないように、傷つけないように、言葉を選びながら接している。
それが優柔不断になって、問題を引き延ばしたり、言うべきことを言わなかったり、自分が不満を溜めたりして、結局どこかで縁が途切れる。
これを短いスパンで繰り返して、結局今関わっている友達は数人しかいなくなった。
我ながら、馬鹿だなぁと思う。
明確なものは無いだろうとは思うけど、人の信頼の仕方、人への心の開き方があったら教えて欲しい。
今まで付き合った友達は、みんないい人だった筈なんだ。
私は、人を信頼するのが怖い。
それともこの年になったら、皆節度を持って心を隠して生きるものなのだろうか。
だとしたら、人生ってとても寂しいね。
あぁ、私。
寂しいんだな。
休日にふと声をかけようと思える友達が減って。
人と笑いながら話す機会がガクっと減って。
他愛のないLINEができなくなって。
寂しいんだな。
読んでくださりありがとうございました。