私は頭が良くなりたい。
その為に毎日運動をしているし、文章を書いている。
毎日ジムのマシンで30分以上歩き、上半身と下半身の筋トレもしている。
筋トレの質は徐々に上がり、一度にこなせる回数は多くなって、ラットプルダウンとペクトラルフライ等の上半身運動は2セットで70回以上はできるようになった。
腹筋も1回25回、2セット50回。
筋力と体力はグングン身に付いている実感がある。
だけれど、自分の行動は相変わらず頭が悪くて、悲しくなってくる。
哲学書は色々調べた結果プラトン著「プロタゴラス」を買ってみた。
だがその前に「アルジャーノンに花束を」をまだ読み切っていなかったので、そちらを優先的に読んでいる。
頭が悪いのは、ストイックに自分を追い込むことができるようになることできっと改善できる筈だ。
なのに、3か月目にして初めて1週間ジムに行き切ったその週末に私は、遊びに溺れまくって、結果家で平然とした顔で嘘を吐いた。
嘘を吐かないといけないような生き方はしたくないと思うのは、心が未熟すぎるのだろうか。
多分、その遊びは悪いことじゃない。
ただ私が自分の中の理想と現実の乖離について行けていないだけだ。
やっぱり、私は全体的に心が未熟なんだと思う。
「辛い、苦しい、助けて」そんな言葉を吐くのは簡単で、とても気持ちがいいと思う。
でも、今はその言葉に逃げて現実から目を背けることを良しとしたくない自分がいる。
そりゃ、辛いよ。
自分を自分として愛せるだけの心のゆとりが無いもん。
苦しいさ。
自分が生きたいように生きられてないんだもん。
望む生き方はあまりにも現実離れしているから、そりゃ乖離に苦しむのも無理はない。
私には自分を愛するということがわからない。
自分の意見を尊重して、自分のやりたい事を大事に丁寧にこなしていく。
時には人と自分の意見をぶつけ合わせて他人の価値観を知って、やりたい事へと落とし込んでいく。
そんなことができたら、私は楽しくて毎日が光って見えるのかな。
自分を愛せるのかな。
でも、私にはわからない。
自分の意見がわからない。
やりたい事も欲求に負けて流されていく。
人と話していても「すごいな」「かっこいいな」しか思えなくて、その意味を考えても何もわからないし、自分の中で深めることができない。
私は、そういうことがしたいんじゃないんです。
私は、皆と話したいんです。
でも、そういうことしないと誰も私のことを見てくれないから。
私のことを気持ち悪いって笑うから。
私は、身体を差し出すことしかできなくて。
結局、そういうことは気持ちがいいし、その瞬間だけは私は何も考えなくて済むから。
そこに逃げ込むんです。
話したいけど、もっと、話したいのに。
私は、話す言葉を持っていないんです。
自分の言葉が欲しい。
泣き言、言ってる暇があったら勉強しなさい……。
すみませんでした。