私ちゃんがたまに真面目なことを考えて呟くと調子が悪いのかと心配してくれる人が一定数いるわけだけれど、私ちゃんも真面目な時だってあるんだぜ……ていうか元々考察専用垢を作っていた時代もあるくらい生活や精神の充実について考えるのは好きだ。
考察をまとめたノートがある。
最近全然書きこんでいないんだけど、私の生活の中で生きている言葉もあったりするのだ。
しまった読みふけって5分経ってた。
何故過去のノートというのはつい読んでしまうのか。
今日はこのノートの中からひとつ言葉を紹介。
世界は広ければ良いというものでもない。自身の心の安寧や、美しい生活リズム、自分という枠組みをしっかりさせるためにはある程度の狭さが必要である。
こりゃつまり自分の安定を崩さない程度の付き合いやコンテンツ、そういうのを上手に取捨選択して生きていかないと息切れしちゃうよーというものだ。
世界を広げつつも、時々自分のキャパに合っているかどうか振り返る必要はあるよね。
私は精神障害を持っていて、心がかなーり脆い。
だから健康な人より、精神的な健康により気を付ける必要があるんだ。
ホラあれ。
血糖値高い人が甘いものを控えるとか、そういう感覚よ。
心だって上手に休ませたり栄養を与えてやらないと、簡単にささくれ立ってしまうんだ。
それで、昨日少し反省したことがあった。
あ、なんか今スッと楽になった気がする。そっか、私頑張らなくていいんだ。結局頑張ってるのって親に不快な思いさせられたくないから、とか好きな人に褒められたいから、とかなんだよね。自分がこうありたい自分であれば、頑張らなくていいんだ。そっか、私頑張らなくていいんだ。
— あけみダイナミック (@akemi_0615) 2018年8月23日
元々私はソフトに重きを置く人間で、自分らしく生きていくには、少しでも穏やかに生きるには、そういう方向性で頑張って今までの生活を維持してきた。その大前提を揺るがせてうまくいくわけないんだよな?努力の方向性を間違えてる。そんなの全然私に合ってない。要するに、無理してたんだよな?
— あけみダイナミック (@akemi_0615) 2018年8月23日
これは「人から褒められるための努力って虚しいよね」という旨のツイートを受けて途端に思ったことだったんじゃけど、本当にまさにこの時こんな自分だダメだって自分を責めに責めていたから、なんか救われた気分だったよー。
いや、なんで自分を責めていたかというと、カルディでなんとなくコーヒー貰ったら漏れなく眠れなくなっちゃったからという、とても凡々オンザ凡な理由だったんだけどさ。
それでも最近妙に気を張って一喜一憂が妙に大きかったことは事実だ。
もう自分を責めて責めて、もっとQOLを大事にしなさーい! という感じであった。
私は頑張って自分を認めることに躍起になっていたけど、自分を認めるっていうのは何も頑張って結果を出したときだけじゃなくていいんだよな。自分を認めるってのはそのまんまの良いかって思う、ある程度いい意味で自分を諦めることなんだ。
これもさじ加減が難しいんだけど、「どうせ自分なんてこうだから」って諦め方をするんじゃないんだよな。
いやー私もまだ修業中だからワカンネけど。
結局自分を助けられるのは自分だけなんだよな。
もっと自分に優しく生きていけるように、少しずつやっていくよ。
昨日、今日はいっぱい考えた!
相変わらず主観でしか考えられないあほあほポンだけど。
頑張ったで賞!!!
読んでくださりありがとうございました。