優しさ12mg

疲れたら立ち止まろう。

優しさ12mg

就労したい精神障害者の仲間に捧ぐ

今日は珍しく真面目なエントリーを書こうと思います!

テーマは、私ちゃんが右往左往しつつもなんだかんだ仕事を続けられるようになるまで~

精神障害を持ちつつの仕事について考えてる人に、こんな一例もあるよーと伝えるエントリーです。精神障害者の就職について云々かんぬん考察できるキリっとした頭は持ち合わせていないので、経験を語らせていただくぜ。

参考になればいいんだけど、ならなかったらごめん!!!

 

 

 

私は22歳の春に精神障害者保健福祉手帳(以下、手帳)を取得した。

それまで私は健常者と同じように働いていこうと高卒で就活し、でも失敗してパートとして働いていた。

私は大学に行きたかった。同年代は大学に行っている事実を思うと病気が恨めしくて仕方が無かったが、自分は資格を取ってせめて立派な社会人としてやっていこうと思っていた。

それが22の冬に資格のために行った福祉の実習先で人間関係に躓きパニック発作を起こして、学校をドクターストップで中退せざるを得なくなった時、自分が健常者としてやっていけない現実をまざまざと見せつけられた。

それがきっかけで諦めがつき、1から出直そうと手帳を取得。

安定した社会復帰を目標に、B型作業所に通い始めた。

 

 

 

作業所での日々は、最初は退屈で仕方なかった。

それまでお店の中を走り回ってあれやこれやとやっていた人間が、いきなり座り仕事で内職を一日やることになったらそうだろうと今になって思う。

それも徐々に慣れて、作業所の雰囲気にも半年くらいで馴染み、居心地が少しばかり良くなっていった。

 

相談員が提示した私の課題は「人に相談できるようになること」だった。

「家族の事でも、友人関係の事でも、なんでも相談してください」と言われ、あれやこれやと相談すると相談員は「成長してますね」と評価をしてくれた。

ところがどっこい一年経った頃、相談員にこんなことを言われた。

 

「プライベートのことを相談しすぎです。公私混同しないでください」

 

正直、頭にきた。

元々3年間の社会人生活で公私混同するような人間じゃなかったのに、相談員が「相談してくれ」と言うから「こんな感じだろうか」とおっかなびっくり相談していたのに、この仕打ちはなんだと。

すごい恥をかかされた気分だった。

そこで私は目が覚めた。

時給100円にも満たない施設の居心地が良いようじゃ、この先社会復帰できないのでは?

 

それから相談員や職員、他のメンバーとも距離を取るようになり、ひたすらに就職活動に打ち込んだ。

(今思うと、私の目を覚ますために相談員は鞭を打ったのかも知れない)

ところが結果は惨敗だった。工場、福祉施設を中心に応募したが、どこもかすりもしなかった。

そうして迎えた24歳の年末、私のもとに知人のツテでクローズ就労の話が飛び込んできた。そこは高校の時アルバイトをしていたところで、接客業で人手が不足しているのでクローズのパートで受ければ採用は確実という話だった。

少し悩んだが、ここまで会社もそれほど無い田舎で6社ほど落とされていて「もうここしか無いのでは」という意識が働き、私はその話に乗ることにした。接客業への復帰であった。

 

 

 

結論から言うと、その接客業A社(スーパーのレジ)には10か月ほどお世話になった。

人間関係にも恵まれていて、仕事がしやすい環境ではあったがA社は私にはキツかった。

その理由を挙げる。

①就労時間がバラバラ(日を追うごとにどんどん不規則になっていった)。

②薬の副作用で眼球上転が出た時の逃げ場がない。

③精神的な好不調があると一瞬で人目が気になり始め、精神的に辛い。

④脳の処理速度が追い付かず、高校の時のようなテキパキとした接客ができなくなっていた(認知機能障害と思われる)。

特に①が辛く、特に一定のリズムでの生活が求められるタイプの私は体調の立て直しが上手に出来ず、A社は休みがちでなんとか10ヵ月勤め上げたという感じだった。

先輩や上司は誰もが親切だっただけに本当に申し訳なく思う。

 

②の眼球上転した時は本当にどうしたらよいかわからなかった。

眼球上転は頓服を飲む飲まないの差はあれど、いずれにしても収まるのを待つ以外方法が無いので、上転したときは本当に地獄を見た。視界がチカチカしてメニューキーもよく見えず、商品の値段もよく見えなかったので記憶を頼りに値段を読み上げていた。

眼球上転について相談すれば障害がバレてしまうと思い上司にも相談できなかった。

これはクローズ就労の最も厄介な点だと思った。

 

そんな中、どうやら接客業B社が朝固定でのレジ打ちを募集しているらしいと聞き、24歳の秋にそちらに転職することにした。

 

 

 

接客業B社(スーパーのレジ打ち、開店準備)は僅か2か月で退職した。

人間関係に躓いたからだ。

しかしこの時次の職を決めないまま辛い気持ちに引っ張られて辞めてしまったので、その後金銭面が火の車になり、親とも決裂し酷い事態を招いてしまった。

 

 

 

そうして「やっぱりオープン就労が良いのだろうか」と障害者求人の今の仕事に応募したところ、一発採用。

トライアル雇用を3か月間経て、25歳の4月には正式雇用ととんとん拍子に進んでいった。

業務内容は清掃。

3人で4時間使い施設内を清掃する。清掃個所はエントランスや事務室等の共有スペースと前日使用したスペースだ。

30分の休憩が入るので実働は3時間半程度である。

 

時折精神的に調子を崩すけれど、仕事に行くと運動するおかげか大抵元気になるし、どうやら業種的にも自分には合っているみたいだ。

正式雇用から数えて5か月、トライアルから数えて8か月が経ったが、仕事に行くことはまったく苦痛ではない。ようやく自分に合う所を見つけたという感じがする。

 

 

 

精神障害者の就労についてはそれぞれの意見があるから、別にそれぞれで良いと思う。

ただ、就職するなら悪い事言わないからオープン就労にしておいた方がいい、と伝えておく。

 

障害者雇用なら就職前にその職場がどんなところなのか教えてもらったり、不安を相談して話し合う場を設けてもらうことも可能だ。

仕事に慣れてバッチリ業務ができるようになれば職場によっては昇給、社員へといったルートを用意してくれている企業もあるし、障害者雇用だ、最低賃金だと悲観しすぎなくても良いと思う。

 

私の場合焦ってクローズ就労してしんどい思いしたけれど、それも無駄ではなかったように思う。

というのも、クローズ就労している期間ずっと作業所に通っていたら……と想像するとそちらの方がより恐ろしいからだったり……もあるし、何より接客業を再開して培った、人前で堂々と話せる姿勢が面接の時に活きたからだ。

でもこのエントリーを読んでいる人には是非とも焦らずオープン就労を目指して欲しい。

しんどいものはしんどいからね。

 

 

 

などと2000字以上かけて大仰に語ったのであった。

私はみんなのメンタルがタフネスで穏やかに育まれていくことを祈っているよ!

心は弱くても、メンタルを保つための努力はしていかないとな。

ちなみに昨日の不調は季節の変わり目による睡眠不足だったみたいだ。今朝いつもより30分長く寝たらすげー元気になった。

そんなもんだよ私ちゃん!!!!

 

読んでくださりありがとうございました。