優しさ12mg

疲れたら立ち止まろう。

優しさ12mg

クロニクル

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私の人生は基本的に周りを振り回す人生だった。

もうそういうことはしたくないと、少しずつ心の棚卸しをしては必要のない要素を入れ替えたりしながらここまで微弱に成長を繰り返してきた。

それが積み重なっての今の元気な生活があったりする。

 

過去なんざ思い出したって何にもならんさ。

大事なのは今何をすべきかであり、過去どんな風に生きてきたかは今のルーツを知るためのピースの一枚に過ぎない。

このブログに綴られた2年3ヶ月は本当に私の人生の格別に良いところだけをかき集めたようなもんで、その前については、悲惨だ。

 

まともに働いたことがない

私が統合失調症を発症したのは中学3年生、まだ14歳の頃だった。

ある日から突然すれ違いざま、学年全体の男子生徒に舌打ちをされるようになった。

私はそれを「自分が毒電波を発しているせいだ」と妄想し、頭を抱えた。1日「キモイ」「〇ね」と言われない日は良い日だったと思う程に生活の質は低下した。家の中ではクラスメイトが私の生活を盗撮して笑っている様子を妄想してニヤニヤしていた。

親に相談してもまともに取り合えってもらえないどころか、「わけのわからないことを言うな」と怒られる始末だった。まぁ知識がなければ仕方ないだろうと今は思うけど。担任から紹介されたスクールカウンセラーには「子供の悩みなんて大したことない」と言われた。誰も頼れなかった。

そんな生活が3年続き、高校2年の晩冬、もうすぐ3年生という頃に、授業中舌打ちが聞こえて突然耐えられなくなり涙が止まらなくなった。限界だった。

 

そこで初めて教員から親に「精神科を受診するように」と告げられ、親も折れた。

病院に行くと告げられたのは「統合失調症」という診断。17歳の頃のことだった。

来年には美大受験が控えていた。全部無くなった。

 

手元に残ったのは病気の脳味噌だけだった。

 

それからは自宅で引きこもってPCと睨めっこする日々だった。

特に何をするでもなく、5ちゃんねる(当時2ちゃんねる)をROMってみたり、動画を垂れ流してみたりしていた気がする。

薬を飲み始める前後1年の記憶は結構おぼろげで、感情の記憶がうっすら残っているだけだ。とにかく外を出歩くのが恐ろしくて、母と病院の帰りにスーパーに寄っても、私は車の後部座席で丸くなって息を殺していた。

そうして1年遅れて復学、高校を卒業したものの、就職氷河期後期。田舎で留年生がまともに働かせてもらえる就職先はパートしか残っていなかった。

ドラッグストアのパートを1年半したが、途中で事件が起こり働けなくなって休職。復職してからは薬が増えたせいなのか仕事が全くできなくなっていて、最初は優しかった店長から半ばいじめのような態度を取られ始め、最後はクビのような形で辞めることになった。

それからまだ健常者として働くことを諦めなかった私は、資格を取りに専門へ通い始めた。そこも結局実習先でパニック発作を起こして退学になった。

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どうして周りについていけず、仕事が全くできないのか。

どうして大事なところでパニックを起こしてしまうのか。

その辺を改めて考えるきっかけとして、専門学校を辞めて引きこもりを再びしている最中に、作業所に通うことを決めた。自分の病気と初めてまともに向き合おうと思った瞬間だった。

そうして障害者手帳を取得。主治医は「手帳が欲しい」と言うと案外あっさり診断書を書いてくれた。今までの静観はなんだったのかと思うほどだった。

その主治医の見立てを書いた診断書はあまりにも辛辣で、これが今の自分の生活レベルなのだと思い知らされた。等級は2級だった。

 

それからB型作業所で約2年。

自分がいかに今までダメな奴だったのかを実感させられ、心が痛いばかりの2年間だった。少し嫌なことがあると作業に支障が出るほど落ち込んでしまう。公私混同をし相談員に不要な相談まで持ちかける。それを指摘されると相談員のせいにして怒りだす。

この2年は本当に自分の改善点を炙り出すために必要な2年だったと思う。

病気に甘えている自分がいた。

病気のせいにして逃げている自分がいた。

「ちゃんとした頭が欲しい」と嘆く割に、ちゃんと物事を進めようとしない自分もいた。

地獄のような2年だった。

それから再びクローズのパートで働き始めるが、続かず。

 

やはり自分はオープン就労で障害と上手に付き合いながら働ける職場でなければダメだと思い直し、パートタイムで障害者就労の清掃員の仕事を始める。

そしてその最中、手帳の更新があり再び診断書を見せてもらうと、「気分障害」の項目が増えていた。

結局、私はまともにフルタイムで働くだけの能力を身に着けることができないままここまで来てしまった。

 

悲しいかな、もう齢は30が近い。

 

怒涛の人生を揉まれている間に、こんなところまで来てしまった。

結婚できたのが幸いだった。だが、私はこのまま経済的に自分の身を立てることができるか、不安でたまらない。

今日は体調が悪くて一日ベッドの上で終わってしまった。そんな暇は無いのに。

 

余計なことは考えないこったな。

 

そう思うと今日のこのブログも余計だったかもしれん。

まぁもうここまで書いちゃったので公開させていただきマンモス。

 

明日からはまた楽しいブログを書けるよう頑張ろう。

 

 

読んでくださりありがとうございました。