むちむちハニーポット♪
(この上なくR-18 美少女ゲームにありそうなタイトル)
このような単語を思いついたけど使う気配なさそうなので使いたいという方は良かったらどうぞ。以上、今日の挙手ゼロトピックであった。
うーん無力
彼さんが頑張ってありのままにぶつかってるから、私ちゃんもありのままに書くね。
彼さんは今日の京都アニメーションの事件にだいぶ心を痛めている。
そのことをブログで「書かなきゃいけない」と言っていたから、私は「書かなきゃいけないということはない」と言ったんだけど、彼さんはやっぱりひとりSMのスペシャリストだから、今日も自分の心を痛めたニュースを掘り下げて自分の心もえぐってしまうようだ。
そういう人なのよね。
繊細なのに正義感が強くて、気になったことには猪突猛進せずにいられない。
そういう彼さんのストイックさが好きになったはずなんだけど、しんどそうな顔を本当に見てしまうと心配が先走ってしまう。
でも止めるべきではないのだと思った。彼さんもブロゴナニスト。つらい気持ちも書いてこそ気持ちよくなれるのがブログなのだ。
無力無力
人の死なんて、本当は向き合うもんじゃないよ。それが私の持論である。
人の死なんてもんは人間の手には有り余るほどの大きな自然の流れなんだ。それは、生命の誕生に関しても一緒。考えれば考えるほど生命の畏敬に押しつぶされるだけ。
私は毎日必死に生きて、死ぬときはピンピンコロリならなんでもいい。
死に関して思いを巡らせるのは自分の心をすり減らすだけの事なのである。人なんてのはいつ死ぬかもわからんし、ましてや自分の周りの人の死なんて本当にどう転んでやってくるかわからない。
死んだらその時、その人がいなくなったことを盛大に悲しめばいいんだよ。
その人の死について思いを巡らせたりするのは、その人の墓を暴くようなものだ。
私は去年の夏、群馬の友人が自死した時、そう思った。
適度に目を逸らして生きるくらいがちょうどいいんだよ。生命の誕生と、生命の死に関しては。
まぁ、無力な私の言葉には何の力も無いけどね。
畜生無力
薄っぺらい人間だろ?
だから無力なんだろう。
ここで私ちゃんが私ちゃんにいいアドバイスをあげよう。
人の心配して自分が病むのは、時間の無駄。
人は自分の思い通りには動いてくれません。なるようになります。
目の前でため息つき続けられて悲しくなる気持ちはわかりますが、ジャガイモからソラニンが出てる程度の意識で乗り越えましょう。
私は、私の心を守らなきゃいけないからな?
という、彼さんを心配した結果自分の無力さに改めて気付かされたけど、彼さんとも自分の心とも適度な距離感を持たないと自分の心が死ぬことを再確認した、という内容のエントリーでした。
兎に角、テレビの向こうの他人の死で病むのはやめといたほうがいいよ。
だって自分にはどうしようもないじゃん。
これはあくまで冷たいことで有名な私ちゃんの意見だけど、その人達のことを本当に思うなら、元気に生活して稼いで消費活動を活発に回すのが正解だと思うな。私は応援のために「ヴァイオレットエヴァーガーデン」を毎日見て感動するね。義援金とか募金とかあったらチャリーンする方向で。
馬鹿だろ?
馬鹿だからここまで生きてこられたんだよ。
読んでくださりありがとうございました。