デール・カーネギー著「道は開ける」を読み始めた。
あんまりにも自信が無く自分嫌いな私を見かねて彼さんが勧めてくれた本だ。
なんか読み始めてまだ10%少々で、PART1の序盤だけど、早速名言の洪水でメモする手が止まらず、読む手があんまり進んでいない。すげぇ本だなぁ。こう、考えていたり研究したことを上手に文章で可視化できるようにするの、大変だったと思う。
過去に生きることは精神と肉体が耐えられない
今のところ一番すげぇっていうか、まだこの思想のところしか読んでないけど、「今日1日の区切りで生きる」という発想の大切さは本当に身に詰まされたわね。
私は、未来に見向きもせず、今を疎かにし、過去を憐れんで生きている傾向がある。
なんかね、コレがこうなるとソレがこうなるっていう想像力や計算力が欠如しているからね、今の行いが未来にどう作用するかっていうのがわからなくて、はっきりと見える過去にばかり意識を注いで悲しんで今を疎かにしているんだよね。
それで、「過去こう生きてきたから」というレッテルを自分に貼って自分の未来を勝手に悲観視している。私は概ねこういう人間である。
この本で言われる「今日1日の区切りで生きる」って言う発想は、今を大事にする考え方だ。
昨日は過ぎた。過去とは縁を切ろう。明日の事を今日背負うのは重過ぎる。未来は配慮すべきだが、心配するには及ばない。今日できる仕事は今日仕上げてしまおう。そういう考え方。
そいうやって生きていくと、丁寧にワンダフルな感じで生きて行けそうな気がするよね。
一度に一粒の砂 一度に一つの仕事
一日を砂時計に例えた話は分かりやすかった。
砂時計は多くの砂が硝子のクビレを一粒ずつ通って時を刻んでいく。
私達の一日の仕事は、上に砂がいっぱいあると果てしなく感じるけれど、一つずつしっかり終わらせていけばちゃんと一日で終わっていく。
そういうのを仕事がいっぱいある段階で憂いて抱え込んでしまうと、人は精神肉体を病んでしまうらしい。なるほどだった。
永久不滅のもののどちらでも生きてはいけない
私は不可能なことを自分一人で全部背負おうとしていたから病んだんだなーってこの本を読んでいてなんとなく感じた。
無限の彼方から続いている過去に生きようとしても、それは不可能なんだ。
逆に言えば、末端にある見えもしない未来に生きることも、人間には不可能。
過去は振り返るには重すぎる。未来は見渡すには暗すぎる。
そんな永遠不滅なものばかりに気を取られて、今を疎かにする人間に待っているのは緊張と神経衰弱なんだと、至極ハッキリ書いてあってなんかハッとさせられたよ……過去の嫌なことばっかり思い出して病んでる私ってなんなんだろうって。
確かに想像を絶するような体験ばかりしてきたけど、もうそれは過去の事なんだよな。それが今の私の価値を決めているわけではないんだ。今の私がどんな人間でいたいかを決めるのは、今の私なんだよなぁ。
わかっちゃいるけど、中々難しいけど。
でもこの本を読む際の9か条のお約束を守るべく、読んで覚えたことは実行していこう。変えていってこそナンボなのだ。
まだ序盤もいいとこだから、また読んで感じたことがあったらブログでも記録として書いていくぞ~!
面白い本を教えてくださった彼さんに感謝です!
読んでくださりありがとうございました。