私ちゃん、気付いちゃったんだよね。
これからの日本に起こる大きなムーブメントに……!
日本の教育改革がもたらす、大きなアレに!!!
(アレ)
今朝のNHK
今朝のNHKで、プログラミングを教える幼稚園が紹介されていた。
そのコーナーで専門家が「優秀なSEを育てることが目的ではなく、論理的な思考ができる人に育てていくのが目的」と語っていて、なんとなくうっすら私ちゃんは怖くなったわけよ。
だってさ、これから小学校にあがる子供たちは軒並み、プログラミング教育とかで論理的な思考パターンを一定以上は身につけて社会に出るわけじゃん?
対し、世の大人たちは私ちゃんも含めて今なんていうか、こんな感じじゃん?
住む世界が違い過ぎて怖くなってくるよね。
教育や技術の進化が世代を大きく分けていくんだなぁっていう、時代の転換点を目の当たりにした気分だった。勿論、その人その人が持つ感性とか適性は根強く変わらないものなんだろうけどさ。教育で培うものって結構大きいから、そんなことを思った。
私ちゃんなんか感性一極集中タイプだもん。この世代のキッズから見れば「直情型直列繋ぎおばさん」になってしまうだろうよ。
そうならないうちに今からでも、若者の論理的思考に負けない自分の持てる武器を育てていきたいと思うぞ。
論理的思考が大事なのはわかるけど
でもさー、論理的思考が生きていくうえで大事なのはわかるけどさ、なんかこう論理的論理的言われると、そういう要素を育むことなく生きて来た私ちゃんみたいなタイプの人間はもんのすごい生きづらさを感じざるを得ないよね。
感性で走るタイプの人間は救いようのない馬鹿と言われている気持ちになるわよ。誰もそこまでは言っていないことはわかる。でも社会の風潮は確実にそういう方向性に流れていっている。
感性が鋭いという自負は最近芽生えてきたけど、その感性を生かすのには薬が邪魔だし、あまり心の奥底を引っ張り出すと自分が病んでしまう。発症後何度も漫画や絵画を描こうとしたけど、描けなかった。心のどこかで自分の制御装置が発動してしまうのだ。
なんかそう思うと私ちゃんってすごい中途半端なポジションの人間に収まったなぁって思う。芸術家肌タイプだけどそれを志すには心が弱すぎて、かといって論理的思考力も自己分析能力も無いから社会という枠組みで上手に立ち回ることもできない。
ここを脱するにはどうすればいいんだろうね?
話は逸れたけど、論理的思考がいいばかりではないとだけ言っておく。
自分の武器が見つからない
多分がむしゃらに生きるしかないんだろう。
毎日やれることをやって、知識を増やしていって、そうしていかないと自分の武器が何なのかなんてわからないのだろう。齢26にしてまだ自分の武器がわかっていません助けて(がんばれ)。
興味のある事、やれる事をある程度決めてそこに向かって走っていこうと思う。
私ちゃんコーディングは好きだけどイマイチデジタルアートが苦手みたいだとわかった。これも収穫。これをこの先どうするかはまたフォトショを触りながら考えていく。
やれることをやって、やれることをちょっとずつ増やしていけたらそれに勝るものはないわね。
はぁ……ひとたび挫折するとそこからの立て直しが大変なのが人生なのね。
私ちゃん今人生を生きてるって感じする。
ひしひしとふさふさと。
この感覚を大事に頑張っていこうと思うー。
そういえばWi-Fi は完全にルーターの異常でした。
ルーター買い換えたら今は普通にインターネッツが使えるようになったよ!!!
やったね!!!
読んでくださりありがとうございました。