学校は生き物だというのはよく言ったもので、私は時たまに自身の表現力に驚くことがある。まぁ、この認識はいまだに変わっていないけれど。これを思ったのが中学生の頃ということを考えると、人というものは例え子供でもその時その時でオリジナルの自分で生きているのだと感じさせられる。
と、この記事を読んで思った。
バタフライ2
この記事に対するアンサーというわけではないけれど、たまにはしっとりとしたことを書いてもいいかなーと思って「バタフライ2」というタイトルでキーを叩いている。
一見するとこの記事に関係なさそうな「バタフライ」というタイトルは、実は本当にこの記事に関係無い。これはアジカンの「ファンクラブ」というアルバムに収録されている「バタフライ」という楽曲から取っている。この曲、ひいてはこのアルバムは本当に好きで、CDが擦り切れるんじゃ無いかというほど聞いた。
しっとりしたこと、と言っても割といつも通りノープランだったりするので、引用記事のようにしっとりと過去についてでも書こうと思う。
よく過去に戻りたいという人を見かけるが、私はそんなの絶対ご免だと思っていて。
いや、記憶継続して戻るのも、記憶無くして戻るのも、どっちも地獄だと思うんだよね。
継続していたとすると、例えば中学生に戻ったとすれば自分と周囲の精神年齢がまず合わない。勉強は当時より面白く感じるかも知れないけれど、一度体験したことの再体験なんて絶対したくないね。記憶なくしたら同じことの二の舞になるだけで終わると思う。人はやり直したところでそう簡単に変われないよ。
じゃあ生まれるところからやり直すかって言われたら、それもう私じゃないしね。違う人間になって再スタート切ったって、その人なりの苦労が結局降ってかかる。意味なしだなと思う。
後悔ならそりゃー堆く積み上がるほどあるけれど、挙げたってキリがない。
特に思春期なんて後悔と憎しみの時代だ。ただそれを巻き戻せば解消できるとも思わない。
要するに自分が自分である以上この人生は避けて通れなかったんだと思う。
生まれ育つ環境は誰も選べないよ。
でもこの間も書いたかなー? それに気づいた今この瞬間からどう生きるかは全部自分で選べるってわけ。
置かれた場所で咲きなさいという言葉もあるけれど、咲く場所は自分で選べるんだよ。今はそういう時代だわね。
喋り方、仕草、習慣、そういうところから見直していけば多分これからの人生が変わっていく。諦めるには私は可能性を知りすぎてしまったわね。
これから、何にだってなれるよ。
だって何にだってなれるって気づいたから。
やったじゃん、私。
そして唐突だけどこのエントリーなかなかいいこと書いてるから読んでみて!
私は自分の心の中の庭のお花を折られたら「いいえ、こんなの私もいらないと思っていたんです」と言いながら自分でお花を次々引っこ抜いて涙を流すような人生を送っていた。 私の心の庭の花を折られるようなことがあったら、怒っていいんだぞ。 それは私の心の大事なものなんだから。それを守るのは、悪いことじゃない。 自分の心を自分が守らなきゃ、誰も守ってくれない。 これからは私は心の庭をちゃんと自分で踏み固めて整備して、お花たちにたっぷり水をやって大事にしてやろうと思う。
それぞれの心の庭を大事に育てようねって話 - 優しさ12mg
この辺名文だわぁ…(熱い自画自賛)。
このブログ書いてると、たまにこういう訳わからんとこから感性が爆発するから面白くてやめられないわね!
まだまだ私には私も知らない私がいるぞ!
これぞ私ちゃん時空だ!!!
これからも楽しく、時にしっとりブログ書いちゃうぞ!!!
読んでくださりありがとうございました。