昨日の電気騒ぎはブレーカーの上げ下げでなんとか乗り越えています。
漏電かなんかわからんけど、ブレーカーは上がっているのに突然電気が使えなくなるという事態が頻発している。昨日の夜だけじゃなくて、今日の昼もまま起こっている。
一度ブレーカーを落としてまた上げると元に戻ったりという非常に不安定な状況。
電気工事の会社を今探しているところだ。
これが直るまではデジタルイラストを描くのは控えないといけないな…絵を描くのはデスクトップだから、下手すると悲劇が起こる。ゲームも同様の事情でできないな。
修理、はよ〜。
久しぶりにnoteを書いた
最近はモルちゃんのごゆるりイラストを置くことが多かったnoteだけど、今日は久しぶりにエッセイもどきを書いた。
私も大概文章書きと今の生活が好きなので、そういうものを賛美する内容を書きがちである。
ノロケもまぁぼちぼちあるけどノロケ一辺倒ではなく、今回は文章を書き続けることであったいいこととか、文章はその人を偽ることができないこととか、大体私がいつも言ってるようなことを集めている感じ。
よかったらお手隙の時に読んでね!!!
しかし今日は小説の発想の泉が枯渇していたな。また物語をモリモリ読んで潤わせていきたいところ。中原中也さんの詩集『山羊の歌』を読了して、今は星野源さんの『いのちの車窓から』を読んでいる。星野さんはやっぱり着眼点がすごい。そして着眼点がすごいし本人もすごいことを成し続けているのに気取っていなくて等身大よね。
『そして生活はつづく』の頃は、「人はひとりなのだ」というメッセージや、曲ができなくて叫び回るなどといった、しんどそうなエピソードが多かったけれど、『よみがえる変態』『いのちの車窓から』と追っていくと徐々に彼自身のステージが大きくなっていくのと同じように、感謝の言葉が多くなっていくのが印象的だ。
今も星野さんは「人は結局ひとり」と思っているかも知れないけれど、なんとなく文章から順風満帆なのが伝わってきて読んでいて嬉しい気持ちになる。
星野さんは愛される人柄だと思う。
私も怒りを笑いに変換したい。まだまだスキルが足りん。
ちなみに中原中也さんの詩集は、言葉の流れがとっても綺麗だけど後半にいくにつれてどんどん内容が重く、暗くなっていくのが読んでいてわかった。
なぜ文豪は病む人が多いのか……。
それにしても『汚れっちまった悲しみに』は私が知っているからというだけではなく、あの詩集の中でも特に言葉の流れが綺麗で、いい意味で浮いている印象があった。
詩も興味あるけど、どう書けばいいかイマイチわからんちん。
そのうち挑戦してみようかな。
詩は無駄を削ぎ落とすイメージだから、難しそう。
読んでくださりありがとうございました。