これ初めてじゃないかな?
私氏、増田に言及するの巻〜。
ドンパフ〜(やる気NASA)。
歌詞に魂は籠ってんのかって話?
別に最近の歌手の歌詞に重みが全くないじゃん…とは言えないけど、言いたいことわかる気がするんだよな。
歌詞に重みがなければないといけないというほど私氏は歌詞に重きを置いているわけではないけど、でも歌詞はその曲を形作る上で重要なファクターであることに変わりはないとも思う。
なんだろう、我々からしてみれば最近、ことにネット発信のアーティストが増えてきたあたりからこういう歌詞に対する違和感っていうのが始まった気がしていてだね。
その源流に当たるのが、ボカロ文化なんだよね。
ボカロ界でまずウケた歌詞の系統っていうのは、雰囲気で色々なことを想起させてふんわりと考察を煽るタイプの歌詞だ。ゴリゴリの失恋ソングだとか、ゴリゴリの情景描写がなされたタイプの歌詞っていうのはボカロ界に一定数存在はしているものの、そこまで爆発的にはウケなかった。
そのどことなく考察を煽り、雰囲気で曲を聞かせるタイプの音楽が”ネット発音楽”として一般的に割と普及して、”最近の音楽”になった結果、上の増田のように感じる人が現れ始めたんだと推測する。
確かにこの世には曲と合わせて聞くと鳥肌立つくらいすごいことを歌う歌詞が存在するよなぁ。私もそういうね、奏者の情熱が溢れてる歌詞は好きよ。
特に好きなのはASIAN KUNG-FU GENERATIONのアルバム「ソルファ」の中に入っている「夜の向こう」の歌詞。悔しさに目を塞ぐその一瞬、涙が滲むという情景だけでサビを書いているのがすごく印象的で、「あーこの歌詞はヤバいわ」と一人で唸っていたのは記憶に新しい。
なんだろうね、情緒を感じるポイントが若い世代と我々世代でズレてきているっていうのはあるのかも知れない。それが私氏自身もここ最近の音楽に乗り切れてない理由なのかなとか思った。
今の若い世代っていうてみればデジタルネイティブじゃないですか。
だって生まれた時からガラケーが存在していた子が二十歳だからね、アレそう考えるとなんか色々”ヤバイ”な、確かにな。駄々捏ねたりしたら3DSやらモバゲータウンを表示したケータイを渡されたりして口封じをされていた世代なのかも…知れない。
物心ついた時からスマホが当たり前の世界で生きている。
もうね、ウォークマンでお気に入りの音楽を聴きながらボケっと電車の車窓を眺めていたら目を刺すような夕焼けが目に映って、日の終わりと時の流れを自覚して胸を熱くする…的なボケーっとした子は稀なのかも知れないね…(私の高校時代の話であった)。
この、なんていうの、今まさに「夜の向こう」を聞いているんだけど、詩的で情緒の深いところを掬い上げたような歌詞っていうのは万人に書けるものじゃないんだよね。
アジカン然り、BUMP然り、ワンオクもミスチルも、あゆだって、(個人的にはポルノグラフィティも推したいが)すごい歌詞を書く人っていうのはやっぱりすごいのよね。昔は歌詞を専門的に書いて、それを生業にした人だっているんだから、やっぱり歌詞っていうのは馬鹿にはできん。
今の歌手の書く歌詞がダメと言いたいわけではなくて、ひょっとしたら我々は日本の音楽の大きな転換点にいるのかも知れない。人々が歌詞に求めているものが変わっていくのかも知れない。純粋に情緒に訴えかける重厚な世界観の歌詞が求められていたのに対し、フレーズ力が高く、ふんわりと万人に当てはまりそうな歌詞の方が求められる世界に移行しているのかも知れん。
本当のところは、これからの音楽シーンを見ながら確かめていきましょう……。
あくまで浅広邦楽ロック大好き素人マンの戯言でしかないし……。ていうか多分ちゃんと重厚な歌詞を書く人も流行歌の中に存在していると思うし。私のアンテナが低いだけかも知れないし。
とにかく、これからも日本の音楽から目が離せないぜ!!!
読んでくださりありがとうございました。