先日ODで大失敗してしまったんですよ。
人生初のODをやらかしてしまったわけだが、私ちゃんのこういう行動の根底にあるのは往々にして自分に対する自信の無さと、極度の自分嫌い、そこからやって来た数多の失敗に裏打ちされた歴史による負のスパイラルである。
今日は「セトウツミ」の感想と悩んだんだけど、ネタバレラインが非常に絶妙で決めきれなかったのと、今回の話を記録として残しておきたい事から「自分を責めないこと」について書こうと思う。
※読む人によっては不快に思うような暗い内容のエントリーになっているので、閲覧注意です。
クソメンヘラ暗黒歴史
そもそもなんでそんなに自分が嫌いやねんという事になるけれど、発端は中高で受けたいじめですね。周りに気持ち悪いとか死ねとか言われまくった結果自分は無価値だと刷り込まれたんだよね。
それでも割かし少女漫画みたいな恋愛に憧れていたりして、人並みの少女の感性は持っていたと思うんだけど、19歳の時にまぁ半ば強制的に破瓜させられてそんな感性も打ちのめされた。
でもその時にいじめられた記憶により植え付けられた無価値観に対し「自分は性的な一面においては価値があるのだ」という変に歪んだ認識が芽生えちゃったもんだから、あとはお察しという感じ。まぁご想像にお任せするけど性的需要を満たすためにやれることならなんでもやったし、それと同時にどんどん自分自身の扱いが雑になっていった。
正直、いまだに「自分を大事にして」「倫理観が」とかそんなのまったく心に響かないよ。私は自分の心を守るために自傷行為としてなんでもやった。
ただただ異性に性的な視線を送られることが快楽で、相手は自分の欲求を満たす玩具でしかなく、それは相手にとってもそうであることがむしろ好ましく、特別な感情を持ちこんできた人間は面倒臭いから切っていった。
そういう暮らしをしていて自尊心だとか自己肯定感とか、そういったものが育つはずもなく、ただひたすらに心をすり減らし続けた。未だに私は愛されている自分がイマイチ信じられていない。人の愛し方なんかわからない。
要するに何が言いたいかっていうと、こういうしんどい記憶とか暗黒の歴史の積み重ねで私は後戻りできないほど自分が嫌いになり、自分を責めてしまう思考が癖になり、クソメンヘラと化していったのである。
そして自分を責めないソリューション
上記の話はなんとびっくり全部本当の話で、私の著作物にも大体の事は記されている。
私はいまだに自分をぞんざいに扱い承認を手軽に埋めたくなる衝動に駆られることがあり、結構割とガチで困っている。依存症なのである。それについてどうにかならないかなぁと、5年来の付き合いのグループチャットで相談した。
すると「依存は意思とか根性とか信念でどうにかなるものじゃない、それでどうにかなっているならとっくにどうにかなってるもの」と共感してくれた人がいた。
その人は「今のあなたに必要なのはとにかくこれまで失敗してきた自分を責めないことと、失敗した自分をそのまま受け入れること」とも教えてくれた。
また別の人は「自分ばかりではなく、適度に人を責めるのも時には大事だと思う」と語った。
結局のところだ。
私は依存症であるが、その付き合い方は案外統合失調症や気分障害と変わらないんだと思った。統合失調症を発症して10年以上が経過したが、ようやく幻聴妄想との付き合い方がわかってきた。それと同じように、依存症の衝動が湧いて出た時の付き合い方をこれから自分と相談しながら理解していく必要があるんだと思う。
依存、障害を持った自分を受容する。
そこから始まると頭ではわかってきた。
忘れがちだけど、毎日少しずつ自分を褒めてやらんといかん。
どうやら私は周りが見て哀れになるほど自分を責めているらしい。これは母や友人にも言われたことが多々ある。母は「あなたの心が可哀想。もっと自分に優しくしてあげて」と言ったが、中々思考の癖を矯正するのは難しい。
かといってこのままだと私は幸福であるはずの現実を自ら手放すことになりかねないので、なんとかこの染みついた思考の癖、自分を責める癖をなんとかせねばならん。
ちなみに
今日は仕事上不安に思ったことを即座に上司に相談し、先輩に報告できました。
ホウレンソウができて偉いぞ~。
……と、いうことをこれから可視化できる形で積み重ねるべきなんだろうなって思いました。
まぁ色々考えながらまた試行錯誤してみますわ。
このトンネルを抜けることを祈りながら。
読んでくださりありがとうございました。