この13日から16日は新潟に帰省する予定を立てている。
なのでこの間更新する記事は予約投稿で対応しようと思う。
今回は4コマ祭りではなく、夫さんから貰った4つのお題で4日間の記事を埋めていこうと思う。
そんな二日目の今日のお題は、『雪で思いつくこと徒然』である。
雪で思いつくこと徒然
私は雪国の出身で、大人になってからは雪が邪魔で怖くてしょうがないと思っていた。
だが雪のない土地に住み始めるとなかなかどうして雪を見たいなぁ、という気持ちになるのである。
それは杉の木に薄化粧を施すようなもの。
空からとめどなく溢れるように、音もなく舞い落ちる白い結晶。
一面をモノトーンにしてしまう、静寂の銀世界。
あの、降り始めの静寂に包まれた空間はなんとも言えず張り詰めていて、とても美しいのだ。あの空気感は味わいたいものだ。
雪かきはしたくなけど。
車の雪下ろししたくないけど。
寒くなければ尚良いけど。
雪は最初こそ美しくて良いもののように思われるけれど、降り続けるとどんどん居住スペースを圧迫し、しまいには重たくなって車や家を潰すこともあるのだ。雪って実はとんでもなくデンジャラス。
そして最初は美しいなと思っていた私のハートも、それが降り続けるとモノトーンの世界に飽きてきて、緑が見てぇ……と悲鳴を上げ始める。
雪国は基本的に雪解け水の恩恵で食い物飲み物全般美味しいけれど、住むのは中々ベリーハードな土地である。
雪国に住むなら、スコップとスノーダンプの効率的な使い方をマスターする必要があるだろう。
毎冬実家の父親がこのスノーダンプやスコップに雪上の滑りをよくするためのロウを塗っていたのは記憶に新しい。
よくよく考えると、父や母はよくあの厳しい過疎の土地で私と兄を育て上げたものだ。
父と母が家でくるみを割ったり、干し柿を作ったりして働いている背中を見るのは、なんとなく誇らしくて好きだったな。私もいつか親になる縁があったら子供に良いとこ見せたいな、とか思っちゃう。それは些細なものでも良いから。
雪国は厳しいところだけれど、そこで生きてきた両親はとても強く逞しいのであった。
今自分が家庭を持ってみると、改めてその凄さを感じざるを得ないのだ。
読んでくださりありがとうございました。